ぱらいそ

隙自語

花に嵐

f:id:a93o:20200226080033j:plain

普段 紙の手帳に1ページずつ日記を書いていて、筆無精のわたしはブログの存在を完全に忘却の彼方に追いやってたのだけどそれでは勿体ないような気がしたので記す。  

柴崎ハウスに万感の思いをこめて

 

「友達の引越しを手伝う」というイベントにあたった。   

存外、思い出すだに楽しい出来事だった。   

そもそも小屋の建て込みとか店の大掃除とか、みんなで何かやるとき自分は足でまといなのでは?となってあたふたしてしまうので、正直ピザ食べてマリオカートやったら帰ろうと思ってた。   

しかし「友達の友だち」があんなに集ってあんなに一丸となることって、わたしの人生にはもう幾度もない事のような気がする。

 

初めてエリコの家に遊びに行った時のことを覚えている。

確かまだゴールデンバットが両切りだった頃。そしてはなちゃんはわたしの友達の友だちだった。

エリコは度々わたしを連れ帰ってくれ、はなちゃんはいつも「おかえりーっ」と迎え入れてくれた。

意味もなく一週間住み込んだこともある。二人ともよく受け入れてくれたよな。

 

そこに遊びに行くとたまに知らない人に遭遇する。エリコとはなこの友達。それでみんなでジュースを飲みながら話をしたり、ゲームをやったりする回が好きだった。あの家にあるいろんな柄のコップが好きだった。二人の友達はみんな漫画のキャラクターみたいで、その風景を眺めているのが好きだった。

 

引越し作業中に、わたしが高校生のときエリコに専門学校のパンフレットを渡さなかったらどうなってただろう、自分でその学校に通ってたらどうだっただろう、と少しだけ考えた。

考えても詮のないことだった。でも多分、こんなに力を貸してくれる友達はいなかったろうな、とも思った。

エリコの磁力みたいに周囲を巻き込む魅力と、人を乗せることの巧みさに感心する。

 

あの家が醸していた生活感の一部はわたしには作りものみたいに見えて、それが大層心地よい。エリコと話していると時折、彼女は身の回りの生活を、小説の読者の視点で見ているような感じがした。

あの独特の心地良さは、それが滲み出ていたものではないかなと推察する。

 

とにかくあの空間がなくなってわたしは人一倍寂しい思いをしている。こんな文章まで作って少々大袈裟でもある。

でも多分、柴崎でしか会わない友達も何人かいるだろうし、そこに漂う空気感はもうない。

 

今後それぞれの新居に遊びに行くことがもしあれば、このような感傷はなかったことになるかもしれない。そしたらちょっと恥ずかしい。

 

然しながらまさか「友達の引越しを手伝う」がちょっといい思い出になるなんて 全然思ってもみなかった。